Profile -プロフィール-
1983年3月28日生まれ。
広島県呉市音戸町のシンガーソングライター。
父親の影響を受け14才の時ギターをはじめる。
東京工科大学メディア学部同学科卒業。コンテンツ音楽専攻。
その後アメリカ・ボストンに1年留学し、バークリー音楽大学でサマープログラ ムスを受講。
楽曲制作、レコーディングは自身でDTM(デスクトップミュージック)にて行い、現在までに5枚のアルバムを発表。
1970年代のアメリカ・イギリスのロック・ブルースがルーツ。
現在、ぺアーレれんがどおりのギター講師を務める。
1983~ 幼少期
3月28日、広島県呉市に誕生する。
呉服屋の長男として非常に可愛がられてすくすくと育つ。
幼少期は、物凄く人見知りの恥ずかしがり屋。ちょっとした事があるとすぐ泣きだしていた。
外見も女の子と度々間違えられる。
父親の影響で音楽を良く聴いて育つ。
浜田省吾は大のお気に入りで、小学生の時に行ったコンサートで知らない曲はなく、全曲口ずさめるほどだった。
1995~ 中学時代
引っ込み思案な性格を感じ取った親は広島市の中学に入学させる。
テニス部に入り、特訓の日々を送る。
どうにかレギュラーに居座る事ができるが、肝心の試合では精神力の弱さが浮き彫りになり、試合前に気力で相手に負けていた。
中学1年の時に父親がギターを買え与えてくれたのだが、いっさい興味を持たずギターを放っておいた。
中学3年の文化祭で友達がバンド演奏をしているのを目撃したのをきっかけに音楽に染まり始める。
ギター教室に通い早速バンドを組みコピーを始める。
GLAY、LUNA SEA、X JAPANなどのビジュアル系にはまる。
だが、X JAPANの早弾きは出来ないので早々と諦める。
そうこうしているうちにオリジナルを作り始めいつの間にかバンドでやり始める。
1998~ 高校時代
テニスより楽しい物を見つけたのでバンド活動に勤しむ。
軽音楽部に入るが、そこは名ばかりの帰宅部であった。
文化祭にも出演したが、大人しい我がバンドは完全なるアウトサイダーであったためラルクのコピーをやるが盛り上がらない。
いつの間にかコピーをやめオリジナルばかりをやるようになり、ボーカルも自分がするようになる。
3年間バンドを続けてやり、最後の解散ライブでは今までにない盛り上がりを見せた。
2001~ 大学時代
期待に胸をふくらませ東京八王子市に上京する。
都会を想像していたその街は緑が豊かな山梨にほど近い長閑な場所であった。
早速音楽をやりたいので軽音楽部のドアを開けるとマージャンをやっていたのでゆっくりと締める。自分でバンドを探そうと入部をやめる。
大学には真面目に通い、バイトもやり、楽しい大学生活を過ごしていた。
肝心な音楽生活はと言うとバンドを転々とした後、スリーピースのバンド「Me's(ミーズ)」を組む。自主制作ミニアルバム「FULL HOUSE」を作り、名古屋遠征に行くなどライブ活動をしていたが大学卒業前に解散。
バンド解散後、就職する頭などなかった数田少年は漠然と音楽で生きたいと夢を描きながら大学で学んだDTMを駆使し、ソロアルバムの制作を始める。卒業研究&論文を完成させ、無事大学を卒業する。
2005~ アメリカ留学
ソロアルバムを制作しながら、アメリカ留学の準備に勤しむ。
留学は周りの協力もあり、全て自分で手配する。
9月からボストンに留学。英語が話せないのでまずは語学学校で猛勉強する。目的はバークリー音楽大学で勉強することだった。
バークリーを卒業したフランス人のアンドレ先生にギターと音楽理論を集中的に習う。音楽の事などそれまでほとんど勉強していなかったので基礎から教わる。
念願叶いバークリー大学でサマープログラムスを受講する。
日本の大学とは違い、宿題の多さに圧倒されながら日々猛勉強する。
世の中には凄いミュージシャンたちがいるものだと度肝を抜かれる。
その間、多くの日本の音楽仲間とも出会う。
留学中には沢山のライブも観に行った。Aerosmith、U2、Robert Jr. Rockwood、Bonnie Raitt、KebMo、Steve Miller、Lenny Kravitz、Joe Bonamassa、Pat Martinoなど。
2007~ 帰国後
2006年9月に帰国し1年間のアメリカ留学を終え、音楽活動を再開するため2ndアルバムの制作に取り掛かる。
2007年9月からライブ活動を始め、10月に1stアルバムと2ndアルバムを発表する。
11月23,24,25日に開催されたインディケットひろしま2007で予選を突破しクラブクアトロで本選ライブを行い、人気投票第3位になる。
インディケットひろしま2007コンピレーションアルバムに「雪明かり」が収録される。
2008~ ソロアーティスト活動
昨年から引き続き、広島・呉を中心にライブ活動をする。
沢山の人たちと出会い、多くの人達に支えられて自分の音楽活動をする事が出来るのだと実感する。
7月4日(水)には、呉ケラウスランブラにEARTHSHAKERのボーカリスト・MARCYさんがアコースティックライブを行い、オープニングアクトを務める。
11月30日(日)には、呉・有楽街焼け跡地にて「元気復活感謝ライブ」が行われメインアクトをカンフル罪さん、オープニングアクトを数田祐一が務める。
毎月2回以上のライブ活動をしながら、楽曲を作成しレコーディングを行う。
そして、2009年1月24日(土)には初ワンマンライ ブ”Hello to 2009!”を江田島・アーテコハウスにて開催し、満員御礼。
同日、渾身の力作 3rdアルバム「Gradation」を発売した。
同年、3月25日(土)には音戸うずしお会館5周年記念として呉フォーク村とロビーコンサートを行う。
様々な音楽イベントに参加し、11月には呉商店街のテーマ曲を音楽仲間と共に制作レコーディング。れんが通り・パルス通り等で楽曲が流れる。
2010年4月3日には、神戸Uncle Jamにてメインアクトのライブを行う。
2010年10月10日(日) 4thアルバム「YELLOW & SOUL」を発表。
新作リリースライブイベントを広島ライブ&バー・カポネで開催し、満員御礼となる。
2011年~ 現在
2011年3月21日、音戸うずしお会館ホールにてライブを開催する。
呉フォーク村を1部に迎え、サポートメンバーと共に2部を行う。
その際、3月11日の東北大震災募金活動を行い日本赤十字社に寄付する。
6月からはぺアーレれんがどおりのギター講師としても活動を始める。
2011年7月2日(土)広島・STUDIO DUCKにてワンマンライブを開催し、こちらも満員御礼。
9月10日(土)には、ストリートミュージックin呉にて初のライブアルバム「HAPPY LIFE and MUSIC」を発表。
11月、石田しんじ制作のミュージックビデオをインターネットで公開。
同月、広島Shelter69で行ったライブで「夏の想い出」を映像で流し動画再生と共に演奏。
12月まで精力的にライブ活動を行う。
2012年から本格的に家業を継ぐことを決意しライブ活動を休止。
家業に専念する。
同年6月9日に音戸・天仁庵にてシークレットアコースティックライブを開催するが2013~2014年は単発のアコースティックライブに数回出演するに留まる。
2014年3月RCCラジオ「一文字弥太郎の週末ナチュラリスト」という番組のエンディング曲で「Happy Life」が採用される。
同年11月16日に久しぶりに広・Cafe Bleuでステージに立つ。
2015年夏、6枚目の新作アルバム制作に取り掛かる。
また、吉松 幸四郎監督の短編映画作品「風の名前」の挿入歌として「ここからはじめよう」が採用される。